すっぱいブドウ
イソップ物語の「きつねとブドウ(すっぱいブドウ)」という話を聞いたことがありますか?
お腹を空かせたきつねが美味しそうなブドウの木を見つけました。きつねは食べようとします。
でも、ブドウは高いところにあって背を伸ばしてもとることができません。
全力で跳んでも届きません。諦めたきつねは「あのブドウはすっぱい。」と言って去っていく話です。
このお話を子ども達に話をして感想を聞くと
「ふーん。すっぱいブドウだったのか。」と、きつねの言葉を信じていました。
でもそうでしょうか?
美味しそう!だと思ったから、初め試行錯誤して取ろうとしたのではないでしょうか?
「美味しい」ブドウが取れないのではなく「すっぱい」ブドウだから、取らないときつねが自分に言い聞かせている話だと、子どももやがて成長してくれば分かると思います。
この話は人が何かを得ようとしても得られなかった時、人が心の安定を保つためにとる行動の一つ、合理化の例として心理学でよく出る話です。
この考えは人間にとっては当たり前のことであり「何かを諦めて、次に進むためには必要なこと」という言い訳になってしまいます。
きつねもブドウを諦めることで、別の食べ物を探すことができました。
ただ合理化してばかりいたり、言い訳ばかりしていると何もできない・何もしない人間になってしまいます。
手に届くブドウでさえ取りに行けません。「つまらない。」や「やっても意味がない」と言い訳ばかりになってしまいがちです。
その中で言い訳をしてしまう子どもはたくさんいますが、そうした児童でも参加できる・参加したいと思うプログラムや療育内容を考えること(ブドウの魅力をどのように伝え、取りたいと思わせるか)が、大切になってきます。