教育熱心と教育虐待
「教育虐待」という言葉がこの十年ほど前から言われるようになりました。
子どもの能力や許容範囲をこえて勉強や習い事を保護者が強いることであり、
子どものためと肉体的だけでなく精神的にも子どもを傷つけることを教育虐待といいます。
教育熱心の度が過ぎたものがそれに当たると言われています。
最も多く見られるのが、受験などで教育熱心と言われる保護者が子どもに行うケースで
過大な期待をよせて必要以上の学習を強いてしまい、目的が達成出来なければ強く叱責し、子どもを追い詰める結果となります。
場合によっては事件となることもあり、将来的に子どもの人格形成に悪影響を与えてしまいます。
支援が必要な子どもの教育にもこの虐待の可能性は存在しています。
療育現場での教育虐待への対応
そうした子どもの学習は実態に合わせて、学校現場では内容や量を軽くすることが多いです。
お子様の状況に合わせて、場合によっては基礎基本のため、前学年の内容をすることがありますが、保護者の中には不満に思う方もいらっしゃいます。
他の子供と同じ内容や量の学習を学校に求めて、宿題や課題の増加を望んだり、市販のプリントをさせたり、塾通いを子どもに強いることがありますが
障害の理解がありそれに適した方法なら良いのですが、やみくもに学習を強いても向上することはありません。
自分がこうしたという経験論や「やれば出来る」の根性論では残念ながら通じません。
本人の限界を超える量や内容を強いられることで、意欲や自信を失くしてしまいます。
そういった対応が、勉強嫌いや自分に自信のない子どもを作ることになってしまいます。
お子様が意欲をもって向き合っているか
お子様に合った勉強内容・方法であるか を見直しをしてみましょう。
教育熱心と教育虐待の違い
では、「教育熱心」と「教育虐待」は何が違うのでしょうか。
それは誰のためかの違いではないでしょうか。
教育熱心とは、子どものために何が必要か、何をすべきか、そのためにどうしたらいいか
を考えることの出来る行動です。
それに対して、教育虐待は一見子どものための行動に見えますが、実は保護者の心を満たすための行動となっています。
自分の子どもだから出来る、なってほしい といった思いが強すぎることで
子どもの思いを押し潰してしまったり、未来までも潰してしまう可能性もあるのです。
教育熱心と教育虐待の岐路に立つ保護者様には、もう一度誰のための教育かを考えていただけたらと思います。