脳性麻痺の娘と共に 〜幼児期から学童編〜
前回の記事で、娘を育てていて後ろ向きだった私が前向きになれたのは、機能訓練を手伝ってくださったボランティアさんの存在であるとお話ししました。
毎日交代で沢山の方が家に来てくださり、腕や足のストレッチ、体幹を鍛える為のプログラムを共にお手伝いしてくださいました。
最初は知らない人が家に来て、自分の腕や足に触れストレッチすることに涙をよく流していた娘でしたが、日々ボランティアさんと共に訓練することで信頼関係がうまれ笑顔がさらに増えました。
2歳半から始めたボランティアさんとの訓練には、姉が通っていた幼稚園の保護者の方もいて、毎日大人から子どもまで幅広い年齢の方が自宅に来てくれるようになり、元気な子どもの笑い声が聞こえる中での訓練は、娘も私もパワーをもらいました。
身体的・精神的にも刺激を受け、毎日続けるリハビリは楽ではありませんでしたが、娘の人間形成の大きな土台となったのです。
娘の事を知ってもらいたい!同年齢の子ども達と過ごす事が娘にとって一番良いのではないかと思い、姉の通っていた園への入園を決めました。
初めての集団生活
車椅子の児童が入園するのは初めてで、設備的にもどうなのか?支援員の先生の配置をしてもらうようにかけあったり、てんかんの持病もあったので、理解してもらう為に何度も話をしました。
年齢が低ければ低いほど、障害に対して抵抗感がなく、一緒に居て当たり前のようになります。
もちろんみんなが娘に興味を示して関わってくるわけではありませんが、娘に関わっている児童と娘の様子を側で見ていた児童が「あんな風に関われはいいんだ」と感じ声をかけてくれたり、一緒に遊んだり、少しずつ友達の輪が広がりました。
小学校入学に関しては、幼稚園の時お友達と一緒の地元の学校へ通わせたいと思い、幼稚園の時と同じように一から話をしました。
入学時はまだ、エレベーターがなかったので教室移動については、支援学校で使わない車椅子を借り各階に車椅子を一台ずつ置き移動手段として使っていました。
年齢の節目では「進学先をどうするのか」「地元の学校なのか」「支援学校なのか」「普通級在籍か」「通級クラス在籍なのか」子どもの特性を考えどの進学先が良いか悩む所だと思います。
オープンスクールで見学したり、コーディネーターの先生や相談支援員さんなど、色んな方と話をしたりして考えていきたいですね