過干渉な子育て
『過干渉な子育て』とはどのような子育てのことをいうのかご存知ですか?
子どものやる事なす事すべてに口出ししたり、手出ししたりしていませんか?
子どものためとよかれと思ってやっているかもしれませんが、実はそれこそが子どもの成長する機会を奪ってしまっていたり、自立して生きていく力を育むことを阻害してしまっているかもしれないのです。
過干渉育児は子どもの主体性を損なってしまう
子どもって手がかかる生き物だと思ったことはありませんか?
実際のところ、そうかもしれません。
自分で朝起きられなかったり、ごはんを作って自分で食べられなかったり、歯磨きや着替え・靴を履くこと…と挙げ出したら切りがありません。
親は子どものためと思ってやっているかもしれませんが、子どもがやることを先回りして手出し口出しするほうが親としては実は楽なのです。
それは色々注意をして、言うことを聞かせたほうが自分の思い通りに物事を運べるからです。
しかし、それでは子どものやる気や自主性・自立心・能力開発の機会まで奪ってしまっているのです。
子どもは何もかも親がやってあげなければいけない存在ではありません。
親が見守ってくれているから、子どもは安心して遊べる
「子どもを構いすぎてはいけない」と言われると極端に子どもを構わず無関心になってしまう人もいますが、それは大きな勘違いでネグレクトになってしまいます。
それではどうしたらいいのでしょうか?
子どもは元々『一人で遊ぶ力』が備わっているので、子どもがしていることを見守ってあげることが大切です。
子どもは1人で遊んでいても時々親が自分のことを見てくれているのか確かめ、見てくれていることが分かると安心し、また遊びの中に戻っていきます。
『見守る』ということは、スマホを触りながら子どもを見るのではいけません。
子どもの行動に意識を向けずスマホばかり見ていたら、子どもが危ない場面に遭遇したときにパッと俊敏に動くことはできません。
“いつでも出ていけるように用意しておく”ということです。
余計な手出し・口出しをせず、子どもがすることをじっと見守る。
言葉にするととても簡単なことですが、あえて手出し口出しせず見守るという選択をする方が難しく勇気がいります。
子ども自身が『これをやろう』と決意し自ら動き出すのを待つ。
そして親は子どもに指示してやらせるのではなく、子どもがやろうとしていることを援助する。
そうすることによって、子どもは自立し自分で生きていく力を育むのです。
しかし、いくら手出し口出ししないといっても命に関わるようなケガをしそうなときや、誰かを傷付けてしまいそうなときは「ダメ!」と注意しなくてはいけません。
子育ては根気が一番大事です。